茶師 上林春松

茶師 上林春松

第十五代 上林春松

永禄年間から十五代続く上林春松家。
その始まりは、初代掃部丞久重が丹波・上林郷から宇治に移住し、茶業に携わったのが始まりです。
久重の4人の息子はそれぞれ一家を興し、久茂、味卜、春松、竹庵となり宇治茶業界を代表する御茶師として、生産流通に重要な役割をはたすことになります。

上林家系図

江戸時代、御茶師の中で最高の位である「御物御茶師」(ごもつおちゃし)として幕府や諸国大名の庇護を受けてきた春松家。
しかし時代は明治を迎え、将軍家や大名の庇護は一切なくなり、御茶師たちのほとんどが転廃業を余儀なくされます。
春松家も創業以来の危機をむかえますが、十一代春松は当時新開発のお茶であった「玉露」「煎茶」を扱うことにより多くの愛好者を獲得し、茶師から茶商へ転身をとげます。
その後も時代の変化に柔軟に対応しながら温故知新を社是とし、茶業の灯火を守り続けています。

宇治御茶師唯一の末裔として、四百五十年の歴史を誇る上林春松家。
代々、最高のお茶づくりに取り組んできた精神は、いまも受け継がれています。

第十五代 上林春松

第十五代 上林春松

温故知新
宇治茶師の長屋門

宇治茶師の長屋門

江戸初期・茶師の仕事

上林春松家は御物御茶師として代々、茶業に携わってきました。
御物御茶師の仕事とは幕府御用のお茶を作るための茶園管理、製造・精製、そしてお預かりした御物茶壺に葉茶(碾茶)を詰める茶詰めという仕事をしていました。
また、その他には大名のお抱え茶師として交際事も多くあり、物見遊山(現在の観光)や供応も多かったようです。
特に春松家は尾張徳川家と阿波蜂須賀家との交流が深くあり、長屋門の屋根にも蜂須賀家の家紋が入った瓦を見ることができます。

江戸初期・茶師の仕事

現代・茶師の仕事

江戸時代までは、茶師には階級がありそれぞれに役割が明確に決められていました。
しかし、幕府が崩壊した明治維新後は、はっきりとした定義付けはされておらず、その仕事内容は「茶商」とほぼ同じであると考えられます。
ここでは春松家の「茶師の仕事」についてご紹介します。

昨今の茶業は、茶園の栽培と茶の生産に携わる農家と、そこで製造された荒茶を加工し、商品として販売する茶商とが各役割を分業しています。茶師や茶商の一年は農家によって生産された荒茶を調達する事から始まります。

茶は農産物のため、その年の気候条件により収穫時期や作柄が異なりますが、消費者に安定した品質の茶を提供するには、この時期の荒茶仕入れは一年の品質安定を決める最も重要な仕事になります。

さらに真価が問われるのは調達した茶の仕上げ加工の技術です。
吟味して仕入れた荒茶は仕上げ加工技術により、年間を通して一定の品質の茶に仕上げます。

各々の茶師や茶商によってその方法は異なりますが、当家の場合は、まず類似した品質の荒茶のみで仕上げ加工し、商品になる手前の原料として保存しておきます。
その後、「合組」(ごうぐみ)と言う幾つかの個性をもった原料を組み合わせ、各商品を安定した品質に仕立てていきます。
この「合組」は、商品の安定化を目的とする以外にも、新たな商品開発をする際も全く同じ手順で行います。
「合組」は経験によって培われた技術であり、違いが各屋号の特徴と顧客の確保にもつながります。この一連の作業は、年間を通して行われ、最も重要な時期は新茶を迎える4月中旬から6月中旬になります。

  • 茶師の仕事
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茶師の仕事場

茶師の仕事場を拝見場(はいけんば)と言います。
当社の心臓部分に当たる拝見場では、お茶の仕入れ、全商品の拝見(審査や検査)、そして合組作業(ブレンド)を行います。

拝見場の壁は、北側に面して傾斜しており、その上部は天井窓となっています。天井窓以外の光はすべて遮光され、一切の光を遮断することができます。
一日の中で直射日光の入らない唯一北向きの天井窓から取り入れた自然光は、傾斜した壁に反射し、拝見台に光をもたらしてくれます。
時間を問わず、同じ環境で拝見することができる拝見場は、電灯のなかった時代の先人の知恵によるもので、拝見場の特徴とも言えます。

傾斜した壁とそれに沿って設置された拝見台の色は、つや消しの黒で統一されています。
壁や拝見台がつや消しの黒で統一されているのは、茶の緑色を識別するのに反射を防いだ黒が一番適していると言われているからです。そして、茶を入れるお盆の「拝見盆」もつや消しの黒に統一されています。
唯一黒で無いのは、「拝見茶碗」です。これは、お茶の液色(水色)を見る茶碗のため白色になっており、容量を均等にするために同じ大きさに統一されています。

この拝見場で茶を検査・審査する一連の作業を「拝見」と言います。
拝見場の設備や道具にすべて拝見という言葉が使われているのは、生産農家や茶に敬意を払い「拝見させていただく」という想いが込められているからです。

  • 茶師の仕事場
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御茶壺のこと

現在の当主は第十五代上林春松。
代々、上林春松に受け継がれていることの一つとして、「茶詰め」があります。

宇治茶師には、お茶の製造・精製の他にもうひとつ大切な仕事があり、毎年新茶の頃に届く、将軍家の御用茶壺や、諸国大名、茶人から預かる御茶壺に葉茶(碾茶てんちゃ)を詰める、「茶詰め」です。
春松家では、現在も秋の口切の時期には多くのご依頼を受け、春松自ら伝承された技法で茶詰めを行います。

茶詰めの手順は、まず、美濃紙を裁ち、茶袋を作ることから始まります。
茶袋は始め奉書紙を用いていたようですが、茶師上林徳順が駿府で徳川家康にお目通りした際に、家康に奉書紙では茶が湿りやすいので、美濃紙を用いるよう命じられ、現在でも美濃紙を使用しています。
茶袋には、底部に封印を、合わせ目に「極上」の文字をいれ、また、それぞれの袋に茶銘が記されます。
茶袋はもとは20匁(約80g)の葉茶を入れていましたが、千利休のころには10匁ずつ入れるように改められ、20匁の半分という意味から半袋(はんたい)と呼ばれるようになりました。
茶壺には数袋の半袋を入れ、その周辺には詰茶と呼ばれる葉茶を詰め、桐製の蓋をし、壺口を紙を用いて糊付けして封じます。封をした壺の天部に詰主の封印を捺し、美濃紙に柿渋を掃いた仕覆を被せ、紙縒りを三つ編みにした締め緒で締めます。これは、将軍家や諸国大名にお届けするまでに、開封されても形跡が残るように工夫されたためで、今でも厳重に封を行います。
こうして葉茶を詰め終わった茶壺は木箱に納め、箱蓋の裏には壺の内容を記した「入日記」(いりにっき)を貼り付けます。
「入日記」には茶壺のなかの茶銘、摘みとられた日、数、詰茶の量と壺詰めの茶師の氏名が記されます。
※碾茶=抹茶に碾く前の葉茶のこと

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