私の祖父である十三代の春松が戦後商売を始めた頃に、お客様に感謝の気持ちを込めて、お配りした手拭を、そのままのデザインで布巾として復刻いたしました。
本能寺の変の時、織田信長と同盟を結んでいた徳川家康は、堺に滞在しており、急ぎ三河へ戻ろうとしました。
その際、明智軍からの攻撃を避ける為に、東海道ではなく裏道の木津川から信楽まで、土地事情に明るい上林家が道案内をしました。
その時の味方である証明に赤い布を袖印にしたという言い伝えを赤染で表現し、中央には穏やかな宇治川の流れを、対岸の青染めは豊かな水と空を表現したと言われております。
今年も残りわずかとなりましたが、師走の忙しい中でも歴史に夢を馳せるような、ほんの少しの余裕を持ちたいものですね。